ASV2010

ASV(Advanced Safety Vehicle)=先進安全自動車 推進計画も第四期が終了。

その成果報告会が開催されたので、覗いてまいりました。


交通事故死者数は、平成22年で4863人とかなり減ってはいますが、下げ止まり傾向にあるのは否めません。

つまりエアバッグや衝撃吸収ボディといったパッシブセーフティでの死亡事故対策が効果を発揮するフェイズはそろそろリミットに近付いているといえそう。

ASVの成果報告というバイアスはかかっていますが、いよいよアクティブセーフティに本腰を入れないと、事故発生件数、事故死者数とも大胆に減らすことは難しいのではないかという印象です。

そのためには車の安全性を考えるときに、乗員(ドライバー含む)の捉え方を「モノからヒト」へとシフトしなければいけないという話でもあります。


事故を起こさないためには、クルマを運転する主体であるヒト由来のミスをいかにカバーするか。そもそも運転ミスを起こさないように、クルマの側からどのような支援をしていくか……そんな風に安全性を考えるのがアクティブセーフティ。


これを突き詰めていくと自動運転にもなりそうですが、あくまで「ドライバーが主体、運転の主権を持っている」というのが日本のASVにおける哲学だということ。

またドライバー主権でなくなると、機械が運転主権を得ることになりますが、そうしたときの責任の所在という大きな問題も、ドライバー主権が基本姿勢という理由のひとつといえそうな印象でもあります。


たとえば、ドライバーが意識を失ったときに、それが検知できるのであれば、機械サイドで安全に停止させるなどの工夫がなされるのは悪いことではありません。アクセル全開で歩行者に突進するのよりは、仮に歩行者を避けることはできなくてもスピードが落ちていたほうが攻撃性は弱まりますから。

この場合、人身事故を起こした瞬間でいえば自動運転モードになっているわけで、たしかに責任の所在が問題になることは間違いないでしょう。

ですから、こうした技術を実用化する前段階として、ドライバーが意識を失った状態での自動運転における事故は機械側の責任ではない(PL的意味で)ということを法規として明文化され、社会常識として認知されていなければトラブルの元というか、裁判で大揉めになるのは自明。


社会的な整備が技術の普及と進歩につながるという面も否めない、のであります。