現在はフリーライターをやっておりますが、もともとは雑誌編集者でした。
そして自動車雑誌に関わるようになったきっかけは、大学を出て就職するときに自動車雑誌をメインとした出版社に入ったから。 そして編集者→独立→フリーライターという、ある種の定番コースで現在にいたるわけです。
さて、じゃあ編集者時代にはどんな雑誌に関わっていたのかと言いますと、以下の通り。
90年代初頭:オフロードスピリッツ
当時、大ブームだったクロカン4WD(パジェロとかサーフとかテラノとか……)をメインに扱った割と硬派なヨンク雑誌。その後、休刊となって今は存在しません(涙)。
90年代半ば:K-CARスペシャル
いまでは新車販売のメインストリームともいえる軽自動車。その専門誌として当時は唯一の存在だった雑誌。隔月刊だったのでノンビリと仕事をしていたような、その分スタッフが少なめだったので忙しかったような。ちょうどビート・カプチーノ・AZ-1というスポーツ軽ブームと、その後のワゴンR(ハイトワゴン)ブームという両極端な時期を、この雑誌で過ごしました。軽自動車が現在の規格になった頃まで関わってから次の雑誌に異動。この雑誌は現在も健在(しかも月刊となって頑張っているようです)。
90年代後半:ル・ボラン
輸入車(とくにドイツ車)を中心に扱う総合自動車雑誌。それまでの軽自動車からいきなり高級輸入車を扱うようになりましたが、技術的にいえば「クルマの基本は皆同じ」ということに気づいたのは、この雑誌のおかげかも。ル・ボラン誌も健在で、当時の同僚だったスタッフはずいぶん偉くなったそうです。
2000年:メルセデス・ベンツ・マガジン
ル・ボランでの経験を活かすべく(?)てメルセデス・ベンツの専門誌に異動。このとき初めて「編集長」の肩書きがつきました。ただし会社員としての役職はヒラのまま。社内では一番若くて、一番給料の安い編集長だったんじゃないでしょうか? 隔月刊で出していましたが、残念ながら半年で休刊に(涙々)。
21世紀の始め:ホリデーオートBG
老舗の中古車雑誌がリニューアルをするというタイミングに副編集長として参画。その後、ただの中古車雑誌から走り屋系中古車雑誌、チューニング記事の多い中古車雑誌、チューニング誌へと変化していきました。おかげで中古車売買の現場からドリフト系ドライバーまで幅広くお付き合いをさせていただくことに。最終的に編集長(編集人)になりましたが、これも編集長になってから4号で休刊の憂き目に。26年にわたる雑誌の歴史にピリオドを打ちました(大涙)。
というわけで、編集長として関わった雑誌はどちらも今は無いのは寂しい限りです。
そして自動車雑誌に関わるようになったきっかけは、大学を出て就職するときに自動車雑誌をメインとした出版社に入ったから。 そして編集者→独立→フリーライターという、ある種の定番コースで現在にいたるわけです。
さて、じゃあ編集者時代にはどんな雑誌に関わっていたのかと言いますと、以下の通り。
90年代初頭:オフロードスピリッツ
当時、大ブームだったクロカン4WD(パジェロとかサーフとかテラノとか……)をメインに扱った割と硬派なヨンク雑誌。その後、休刊となって今は存在しません(涙)。
90年代半ば:K-CARスペシャル
いまでは新車販売のメインストリームともいえる軽自動車。その専門誌として当時は唯一の存在だった雑誌。隔月刊だったのでノンビリと仕事をしていたような、その分スタッフが少なめだったので忙しかったような。ちょうどビート・カプチーノ・AZ-1というスポーツ軽ブームと、その後のワゴンR(ハイトワゴン)ブームという両極端な時期を、この雑誌で過ごしました。軽自動車が現在の規格になった頃まで関わってから次の雑誌に異動。この雑誌は現在も健在(しかも月刊となって頑張っているようです)。
90年代後半:ル・ボラン
輸入車(とくにドイツ車)を中心に扱う総合自動車雑誌。それまでの軽自動車からいきなり高級輸入車を扱うようになりましたが、技術的にいえば「クルマの基本は皆同じ」ということに気づいたのは、この雑誌のおかげかも。ル・ボラン誌も健在で、当時の同僚だったスタッフはずいぶん偉くなったそうです。
2000年:メルセデス・ベンツ・マガジン
ル・ボランでの経験を活かすべく(?)てメルセデス・ベンツの専門誌に異動。このとき初めて「編集長」の肩書きがつきました。ただし会社員としての役職はヒラのまま。社内では一番若くて、一番給料の安い編集長だったんじゃないでしょうか? 隔月刊で出していましたが、残念ながら半年で休刊に(涙々)。
21世紀の始め:ホリデーオートBG
老舗の中古車雑誌がリニューアルをするというタイミングに副編集長として参画。その後、ただの中古車雑誌から走り屋系中古車雑誌、チューニング記事の多い中古車雑誌、チューニング誌へと変化していきました。おかげで中古車売買の現場からドリフト系ドライバーまで幅広くお付き合いをさせていただくことに。最終的に編集長(編集人)になりましたが、これも編集長になってから4号で休刊の憂き目に。26年にわたる雑誌の歴史にピリオドを打ちました(大涙)。
というわけで、編集長として関わった雑誌はどちらも今は無いのは寂しい限りです。