クルマのミライNEWS

自動車コラムニスト 山本晋也がクルマのミライに関するニュースをお伝えします。

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2008年06月

職人といえば

どんな分野でもかまわないのですが、師匠と弟子という関係によって継続している組織を想像してみてください。

そうした組織では師匠から弟子に技術なり思想なりが伝授されるわけですが、単純に目先の効率だけを考えたら、弟子が存在しているのは無駄でしかありません。たとえば刀鍛冶だったら師匠だけで生産していたほうがクオリティも高いでしょう。しかし、そうなると師匠の寿命が尽きたときに生産も止まってしまいますし、復活させることが不可能になります。ですから、その組織なりシステムを持続させるために弟子が必要なのであって、その弟子が後に師匠となることで、その組織は継続することができるわけです。

それは社会システムでも似たようなものでしょう。たとえば原油(師匠)が実用レベルで使えなくなる前に代替エネルギー(弟子)を育てておかなければ今のままの社会は持続できません。そんな当たり前のことがわかっていない人がいるようで。石油が枯渇すれば自然と代替エネルギーが生まれてくると楽観視していたり、現状のコストだけで代替エネルギーの可能性を否定する論調を見かけることがありますね。いや、もちろんスジの悪い弟子に期待できないというのも事実なのではありますが……。

編集者か、ライターか

雑誌だけに限った話じゃありませんが、編集者(ディレクション)とライター(クリエイティブ)って似ているようで、まったく立場が異なります。

自分の場合、いまはライターとして活動していますが、もともと編集人でしたから、どうしてもディレクション的なスタンスに立ってしまいがち。

結局、それがクリエイティブとしてのレベルを下げているような気もしています。やっぱり、クリエイターはいい意味で暴走しなきゃいけない部分もあると思うのです。それをディレクション側がうまくコントロールすることで、刺激的なコンテンツが生まれるのでは?

とはいえ、自分でいうのも何ですが、テキスト職人的な仕事スタイルは気に入っているので、別に変える気もないのではありますけれど。暇だと、唐突にヘンなことを思いつくものですね。

MTB!?

パソコンが普及した影響なのか、ローマ字の子音だけを抜き出して言葉を表現することが割合フツーになってきています。

その代表が「KY(空気読めない)」でしょうか。そのほかkwsk(詳しく)とかも割合に使われているのを見かけます。

で、最近覚えたのが「MTB」。

マウンテンバイクの意味でもないし、ミート・ザ・ビートでもありません。

なんの子音を取ったかといえばMe Ta Boなんだそうで。

メタボ、転じて「デブ」を指す三文字のようです。こりゃ、自分にぴったりだ。

勝ち馬?

「ガソリン価格高騰に対抗して馬に乗って通勤」というニュースを見て、ふと思ったことがあります。

それは、日本語で『勝ち馬に乗る』という表現があるけれど、なんかおかしくないか? というもの。


そもそも『勝ち馬』という言葉は『勝った馬』という実績を示しています。しかし『勝ち馬に乗る』という表現では『勝ち馬=勝ちそうな馬』という予想にしか過ぎません。そりゃ鉄板で勝ちそうな馬をイメージしているのは理解できますが、もともと実績(過去)を示す言葉が、予想(未来)を示す意味として捉えられるように変化しているのは面白いと思いませんか?

う~ん、考えすぎですね(w

本当のダウンサイジング、とは

自動車業界でも「ダウンサイジング」がトレンドになりつつありますが、いまのところは偽りのダウンサイジングという印象です。

たとえば『1.4リッターのエンジンで2.0リッター並の走りを実現』というクルマがあったとします。排気量が小さくなっているので一見するとダウンサイジングに見えるでしょう。でも、本当のダウンサイジングとはいえないと思うのです。

だって、そもそも乗用車を動かすのに“2.0リッター並”の出力なんて必要ないでしょう? 本当の意味でのダウンサイジングとは、安全を考えた上での軽量化をはかったボディを作ることで、そのボディを運ぶのに必要十分なパワートレーンを載せることじゃないかと思うのです。

さらに言うと、想定する速度によって安全なボディというのは変わってきます。当然、想定速度が遅ければボディも軽くできます。つまり「ヒトがクルマによって移動する際の最高速度は時速●●キロ」と規定する必要があるってことで、それは移動に関する社会システムをデザインするということでもあります。

ダウンサイジングを提案するには、そこまで考える必要があるでしょう。

たとえば日本においては自動車の最高速度は100km/hで、無改造の国産車であれば180km/hがリミットとなっています。ダウンサイジングを考えるのであれば、こうした速度設定についても考え直す必要があるかもしれません。

もちろん、現在の制限速度である100km/hの妥当性についても改めて考える必要があるでしょう。この速度に「ヒトが移動する速度」としての意味はなく、日本国内でも列車は300km/hで、航空機は1000km/h超だったりします。こうした速度の違いは、基本的な構造による性能差のほか操縦士の能力や管理体制を含めた安全性(事故発生率)による部分もあるでしょうが……。


話が逸れました。

というわけで真のダウンサイジングを実現するには、いちメーカーだけでは難しいと思う次第。では、どんな交通社会を築くかといった社会システムをデザインできるのはどこなのか? 実行力を持って推し進めるには国となるのでしょうが、デザインを行なうのは国民自身ではないかと思うのです。それが民主国家であろうとなんだろうと、システムの上にのってくる国民がどういった方向を求めるかで、デザインの基本線は決まってくるはずです。

そこでのポイントとなるのが、『移動の自由』の定義じゃないでしょうか。結局、自動車を所有するというのは『自由に移動する権利』を得ることであり、その権利を確保するかどうかの国民全体における意思がどちらに向うかで交通社会システムの姿は変わってくることでしょう。

しかしながら、なんとなくですが、最近の(大マスコミによる)風潮は、そうした『移動する権利』を限定する、手放す方向にむいているような気がして少々不安です。



北米から変革がはじまる!?

北米の自動車マーケットを支配してきた、いわゆるBIG3がイキオイを失ってずいぶん経ちますが、いろんな意味でBIG3を支えられる状況ではなくなっているかもしれません。S&Pの格付けでフォードファイナンスがCCCになってみたり、GMの株価が大幅ダウンしているというニュースを耳にすると、もはや諦められた企業になってしまったのかもしれないと思う次第。

さて、そこで心配になるのが、そうした流れをうけてアメリカが唐突に「脱クルマ社会」を目指したりしないかということ。あくまでイメージですが、アメリカってドラスティックに変革する傾向が強い気がするんです。だからいったんトレンドになるとヒステリックなまでに突き進むイメージがあって。もし「脱クルマ社会」なんて目指したら、それこそ一気に突き進むんじゃないかと。

そうなれば当然のように北米市場の依存率が高い日本メーカーも大きな影響を受けるでしょう。ただテーマが「脱クルマ」であれば、撤退するほかないわけです。ならばアジア市場へ活路を見出すしかないんでしょうか? とはいえヨーロッパは違う価値観で行くと思いますし、とくにドイツは自動車優先のお国柄ですから、そうそう簡単に「脱クルマ」にはいかないと思いますが、果たしていつまで突っぱねていられるか分かりません。

そんな心配をしていたら、違う方向でアメリカの社会が動き始める気配。
なんとアメリカン・ルマンシリーズの一環として2009年からGREEN CHALLENGE™ RULES AND REGULATIONS SETという新レギュレーションが採用されるようなのです。これまでもモータースポーツと環境対応というのはなされてきた部分はありますが、それはあくまでレギュレーションでバイオ燃料を使うことが決められているというレベル。しかし、このGREEN CHALLENGEは各マシン、各チームがそれぞれ独自に「環境対応の技術を注ぎ込んだかについても評価しよう」というもののよう。つまり『速いが偉い』というレース的思想からの脱却というわけです。もちろんレースですから基本は『速いが偉い』というのは変わらないわけですから、『速いだけじゃ尊敬されない』と表現したほうがいいのかもしれません。

そうしたトレンドが、市販車のクルマ選びにも影響を与えるようになったとしたら……。いまは、結局のところ「デカくて速い」ほうが偉いとされているヒエラルキーを崩してしまうことでしょう。長年続いてきた評価軸が変わったあとに、どんな評価軸が生まれるのか、それをいち早くつかんだ組織が生き残れるのかもしれません。

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